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「いつまで生きられるか誰にもわからない、だから今やりたいことを」ひとを巻き込むの学生作家・清古尊が語る過去と時間論

「いろいろな分野に手を出しすぎてしっちゃかめっちゃか」清古尊(せいこたける)さん

 彫刻家、鑑定士ら12人のインタビューをまとめた書籍『活動遺産』、地元の著名人の手形集、40人余りで共作した絵巻物『世界一周チョキ絵巻』など、精力的に"周りの人"を作品に巻き込む中学生の作家・清古尊(せいこたける)さん。やりたいことを追求し続けた結果、最近はその取材活動や手形収集活動で世に浸透してきている。

 そんな清古さん。なぜひとりではなく複数人であることにこだわるのか。その原点に迫る。

お話を伺った清古尊さん

お話を伺った清古尊さん

生きた集合場所

清古さん(以降、清古) 僕は作品作りは一人でする物であって欲しくないんです。個人制作はあまり好きではなく、これまで「40人で絵巻物」を作ってみたり「数人がかりで大きな絵」を書いてみたり、「チームで映像作品」を撮ってみたり人を集合させてものを作ってきました。それこそインタビュー集や手形も、取材を受けてくださった方や手形を取られた方との合作です。

--たしかにこう聞くと清古さんの多様な作品に合作であるという共通点が見えてきますね。

清古 はい。だってひとりで何かするのって楽しくないじゃないですか。だから自習の時間とか大嫌い。すぐ誰かと喋りたくなっちゃうんですよ。

--こう考えるようになった由来は何なのでしょうか。

清古 あれは児童館に通っていたときのことですね...

周りと話が合わない苦悩、児童館で大切なこと学び

--清古さんはいつからいつまで児童館へ通っていたのですか。

清古 僕は小学校6年間のずっと通ってたんですよ。両親の仕事が多分他の家よりも忙しくて基本学校の後は児童館でした。まあでもそこには仲のいい友達も居てすごく楽しかったけど。その子がいたからずっと通っていましたね。

--その友達とはどんな遊びをしていましたか。

清古 トランプ、野球盤、将棋...あった遊びはひと通りやりました。野球盤なんかは途中から飽きてきて、どれだけバットを遠くにぶん飛ばせるかなんてしてました。でも遊んでいる反面学ぶことも多かったですよ。

--どんなことを学んだのですか。

清古 それは、今は退職された児童館の先生が現役だったころに「今は周りの友達と話が合わないかもしれないけど、きっとこれから馬の合う人が現れるから。」と言われたことですね。この言葉は今でも良い言葉をいただいたなと思います。

--どうしてそんなことを言われたのですか。

清古 僕実は小学校3年生くらいのころまでは自分と趣味の合わない人とは全く喋れなかったんです。野球とかゲームとかが趣味なら仲間がいたかもだけど、僕は当時クラシック音楽とかチャップリンとかが好きだったから。そんな子話が合うはずないですよね。

--それはたしかに小3の子には難しいかもしれませんね。

清古 だから小学校低学年のころは友達が少なかったのです。ホント5人いるかいないか。

 やはり今も、当時と趣味は変われど、自分の好きなものは珍しいわけです。だけどそれを受け入れてくれる友人ができて、僕も友達の趣味もおもしろいと思えるようになって。本当にあの児童館の先生の言葉はその通りだなと思います。そのあたりから自分とは趣味や考えの違う人とを話すのも楽しいと思うようになりました。

小学生の頃の清古尊さん

小学生の頃の清古尊さん

死を意識、残された時間は

--清古さんは学生とは思えないほどいろいろな活動をされていますよね。その根幹には何があるのでしょうか。

清古 うーん。なんか自分が生きているうちにやりたいことを全てやり切れる自信がないんです。そのせいですかね。

--若いのに。どうしてそう考えるのでしょうか。

清古 それを最初に考えたのは小学5年生で入院したときでしたね。病名は難しくて忘れちゃったけど珍しい腸の病気にかかったんです。学校の昼休憩のあとに救急車で運ばれて、うちでは手術ができないからって病院をたらい回しにされました。

--それは大変ですね。

清古 うん。本当に救急車の中ではもう生きられないのではないかと不安になりましたね。まあ、後半は意識がおかしくなって麻酔に耐えてやろうとか考えてたけど。

 よく考えることがあるのです、自分はいつまで生きられるのだろうかと。祖父母が共に長生きできなかったんです。きっと2人はやりたいことがまだあっただろうし、行きたいところがあっただろうし、見たい会いたい食べたいものがまだあったのだろうと思います。そういうことを考えると、自分がいつこの世を去っても後悔の無い生き方をしたいのです。

 だから「やりたいことはとりあえずやってみる」これを意識しています。いつできなくなるかわからないですから。

自分を隠した1年

--そしてそこからずっと「やりたいこと」をやり続けているのですね。

清古 それがそうでも無いのです。入院と同じ年の小学校5年生の時はやりたいことができていませんでした。当時は漫画とかを描いてみたかったんですが。

--また病気か何かですか。

清古 いいえ。これは気持ちの問題ですね。その年のは初めて同じクラスになる人が多くて、変わった趣味を持った自分は孤立してしまうのではないかとビクビクしていました。

--辛い1年なのではなかったですか。

清古 まさにそうです!その1年間は今に繰り越したいくらい何もできなくて楽しくなかったです。

 当時の自分は弱かったのだと思う。人に合わせることで精一杯だったので。

転機、姉と行った講演会

--今の清古さんのやりたいこととはどんなこととはどんなことですか。

清古 これは一貫して昔からあることなのですが、有名な人を集結させてみたいという憧れがあったんです。インタビュー集とかで各界の人物が集まるみたいなのが好きですので。オールスターってかんじでかっこいいじゃないですか。

 だけど別に有名な知り合いがいるわけでもないからそんなことはできませんでした。でもある日初めて有名人に会う機会を得ました。

--それはどんな機会ですか。

清古 尊敬していたキュレーター(美術品などの展示を行う職業)の島敦彦さんの講演会です。島さんは遠くに住まわれてるからこれまで会う機会など無かったのだけど、県内の美術館にイベントでいらっしゃったので会うチャンスができました。

--それは良かったですね。

清古 ですがそれが簡単に講演会には参加できませんでした。当時の自分は一人で電車にも乗ったことがなかったので親と行く予定だったんです。けれど、仕事の都合で急遽出勤になり親は行けなくなりました。チャンスを逃しかけたその時姉が一緒に行こうと言ってくれました。

--それは優しいお姉さんですね。

清古 その日の姉には今でも本当に感謝しています。あの日講演会に行っていなかったら今の僕は違う僕であると思います。

--それはどういうことですか。

清古 講演会の後に思い切って島さんに話しかけました。当時は初めて会う大人に話しかけることが苦手で母に代弁してもらっていました。けれども親がいなかったので僕が直接話したのです。

 その経験が大きく、今では誰とでも話せます。それが出来なかったら、取材集も作れていないし、いろいろな人から手形をもらうこともできていなかったと思います。

足と出会い、手に昇華

--手形の話が何度か出ましたけど詳しく教えてもらえますか。

清古 僕の住む広島県ゆかりの有名人や、広島に訪れた有名人の手形を集める活動をしています。

--どのようなきっかけで手形を集め始めたのですか。

清古 はい。2023年の10月に家族で尾道市に行ったんですよ。そのとき僕はポケモンGOをやりまくっていて、そのマップに「谷川俊太郎の足形」が載っていたのです。それで試しに見に行ってみると有名人の足形がズラーっと並んでいました。

--たしかに尾道に足形いっぱいありますよね。

清古 その足形を見て、自分も有名人の足形を集めたいと思いました。だけど、人から足形をもらうのって難しいじゃないですか。靴を脱がして、靴下を脱がしてってするの。なら手形にしたら簡単でいいだろうと手形を集めることにしました。

 初めて手形をもらったのはその翌月のハロウィンパーティーのことです。初めての手形採集で緊張しながらも実業家の方にいただきました。

--足形が手形に化けたのですね。

時間の主導権はいつだって自分

--最近の清古さんは学校でも楽しそうですし手形にインタビューに充実してそうですね。

清古 まわりの人に恵まれてまことに楽しい日々を送っております。

--病気のお話でもありましたが、清古さんはかなり時間について気にされていますよね。

清古 そうですね。時間ってだれもが平等に流れるものじゃないですか。だから自分の残った時間にムダのないようにやりたいことを詰め込みたいのです。

--そうですね。時間には限りがありますからね。

清古 楽しいと思う時間は早く流れるように感じて、だらだらすごす時間はだらだはと流れてますよね。こんなふうに時間の感じ方は自分次第なわけです。

 時間の"主導権"はいつだって自分のものですから。もったいないことはしたくないのです。

「生きているうちにあなたの活躍が見られないのが悲しい」

--それだけやりたいことを続ける清古さんはなんというか、いつかすごい人になるのでは。

清古 ありがとうございます。少し前にお会いしたおばあさんがいらっしゃるのですが、その方に

「あなたは将来すごい人になるよ。あなたが活躍を生きているうちに見られないのが悲しいわ。頑張って。」

と言われました。こうやって自分を応援してくれている人がいる以上、期待を裏切るわけにはいかないです。

 自分に関わった人に誇らしく思ってもらえるように日々、今自分はなにをすべきかを考えています。

好き嫌いを言えることは素晴らしい。でもわがままはダメ

--これから自分の楽しいを追求されるのですね。

清古 はい。好きなことを好きなだけフルでやっていきますよ。嫌なこと困って悩んだことがこれまであった分、好きなことができる今が楽しいのです。

 好き嫌いって自分を守る手段だと思うのですよ。嫌なときは嫌って言わないと、いつか自分が自分でなくなっちゃうと思うのです。あとから後悔しないように、自分主体で生きたいのです。まあ、自分主体っていっても迷惑かけるのはだめ。自分も気をつけなくちゃですね。

清古尊(せいこたける)

作家/2009年11月7日22時48分〜、広島県廿日市市本町出身。

保育園生の時に絵を描くことの面白さに触れ、小学校でアートグループ「チョキサウルス協会」を設立。複数人で作品を残すことをキーワードとし、手形採集、インタビュー集の出版、合作絵画の制作、映像制作などに取り組んできた。今年、インタビュー集『活動遺産 いろいろな人のいろいろな話!!』を出版。ひろゆき、はしもとみお、スミマサノリら13人の取材を収録。エッセーひろしま編集者。

何不自由なく130歳まで生きることが夢。趣味はバレーボールなど球技をすること、ともだちとカラオケに行くこと、道に落ちた手袋を撮影すること。英語と野球が苦手。

曽祖父は俳人の大本あきらさん(1922-2009)。その筋には俳人の堀内雄之と妻の堀内律子(二人には直接血のつながりはない)。叔父・叔母は、大阪府豊能町の一般社団法人「とよのていねい」を運営する宇都宮正宗さん(プログラマ)と宇都宮頼子さん(デザイナー)。

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